2020年5月 の記事
 
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秋季公式戦 通常の「8月開幕」を取り止め、代替案「開幕を10月、期間縮小にて開催する日程案」にて準備開始

つまり1ヶ月遅れで開幕することで調整中、と読めます。

以下は妄想です。この通りにはならないと思いますが。

今回のリスケジュールの最大の難関は、「ライスボウルを後ろ倒し出来るか」にかかっています。

その上で甲子園ボウルの会場・使用時期も影響します。
というのも、何事も無ければ3月初旬にはプロ野球のオープン戦、中旬には選抜高校野球が入る為、芝の養生に1ヶ月は見なくてはいけません。この為、大学選手権を甲子園開催に拘るなら1月中に開催する必要があります。
代替開催場として長居陸上がありますが、うちらもサッカーの国際試合がスケジュールされたりマラソン大会があったりしますからアメフトマニアの思うような都合では行かないと思われます(従って万博陸上または神戸ユニバまたは西京極陸上での可能性が残っていますが)。
さらにが゛区政には期末考査があります。好機期末考査後の学齢は+1される事が前提ですので、4回生は卒業と見なされます。したがって新チームでの活動となるのが原則なので関西学生ファンとかが平気で無視してきた箇所が回避不能な案件なので(以前のラグビー日本選手権トーナメントはかなり例外です)、どうあっても1月中で完結させる必要がある訳です。
※さらに来年の再流行を危惧するなら早め早めに終わらせておいた方が良い。

そうなると単純にスライドさせると、以前の「単純に2週間遅れ」で捉えても以下のようになります。

まず2月に入ってしまうのでアウト。他のリーグとの兼ね合いもあるので、せいぜい1週前倒しのみかな。

では代替案の「プレーオフを一部削減」に手を加えて「社会人はX1Superの1位2位で決勝とする」「1/3の社会人決勝を日本選手権とする」という前提だと

あ、何かスッキリ入った。

これで関係各所が納得してくれるかどうかなんだけど、多分関西学生がゴネるんだろうなあ「甲子園は伝統として12月3週目だ」って。その為に地方学生切り捨ててスケジュール詰め込んで強行したがるんだろうなあ。
※もう1週早くなれば、学生のプレーオフの間隔詰めた上でX1Super1位と甲子園勝者で1/3開催は可能ですけどね。

 


投稿日:2020年5月14日 23:39:40 / 投稿者: 久保田 博之

アメフトを見に行くようになったのは2001年の秋でした。最初に見たのはFinal4Eastのアサヒビール対オンワード。
この前年からNFAは大きな変革の仕上げに入っていました。
それまで「実業団リーグ」「東日本社会人リーグ」「西日本社会人リーグ」に分かれていたリーグを1本化、東西各2ブロック・1ブロック6チーム(1990〜1991は関西はブロック5チーム)でリーグ戦を行ったのです。
この為東西の決勝が設定されたのがこの年、Final4だったのです。
実際に初めて現場でアメフトを見たのはこの前の週、関東学生の最終節明治対日大だったのですが、これが面白くなかった(これは私がフットボール知識が無かったからです)ので「学生と社会人見て、両方ダメならバスケとかハンドボールとかも見てみよう」と思っていた訳です。
※既にJリーグは始まっていて、現場に行くにはちょっと気がひけていた。実家から見て一番近いのがヴェルディだったので乗れなかったのである。

この壮絶な試合は史上初のタイブレーク(前年までは同点の場合コイントス)に行くというも素人ながら大興奮な試合で、とても満足してしまってので。翌日の関東学生の決勝、パルサーボウルは行かなかったという大失態をしてしまった訳です。

今回、ある方からYoutubeにアップロードされている動画を紹介戴きました。これを知ることで、意外な事に気付いたのです。

この年の日大のエースQBは#10松本で、エースターゲットは#25関だってんですが、他にも鈴木や宮田という優れたレシーバーが居たんですね。
ところがこの試合、日大は8インターセプト喰らっています。
その殆どが関への時間のかかるパス。
これ、明らかに松本にミスリードさせたゾーンカバーですよね。正確にはゾーンとマンツーの組み合わせ。
後半最初こそ鈴木や宮田への決め打ちクイックパスで進むんですけど、焦れてくるとどうしても関に投げたくなる。
結果的には関にTDパス通るんですけど、それ以上に誘われている感が凄いんですよ。

そしてもう一つは専修のブロッキング。最初はストレートプレーが多かった事もありまっすぐ押し込むゾーンブロック。それが徐々に左右に動き出して終盤になるとカウンタープルアウトを織り交ぜてくる。
この見事な伏線の回収。気付いた時には鳥肌立ちました。

当時の選手だった濱崎さんのFBに当時のことが書かれていました。激アツな文章、そして当年の選手たちが未だにあの試合でやりとりしている熱のこもったコメント欄をご覧戴くと、あの2日間が日本のアメフトにおいて大きな転換期だったと言っても過言ではないと思うのですよ。

というのも、この後日大は2007年まで関東を制覇できず(篠竹さん在任中は0回)、社会人は外国人コーチや関西出身コーチの主導したチームが全盛を誇り、かなり色合いが変わった訳です。
※なお日本フットボール界から篠竹さんの残滓が払拭するのはシルバースター最後の優勝の後、ですね。

そういう貴重な時代の映像をご覧くださいませ。


投稿日:2020年5月17日 22:27:16 / 投稿者: 久保田 博之

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