本紹介と書評

書評家が本紹介TikTokerけんごをくさし、けんごが活動休止を決めた件は出版業界にとって大損害

これ、豊崎由美さん(ちなみにこの人男性です)が「誰に向かって言ったか」によって話変わる訳です。そういう意味ではTwitterもTiktokも目糞鼻糞な話であって、言われた人は「あ、はい。僕は単に好き勝手言ってるだけなので」と開き直れば済むのに、引っ込んじゃったんじゃどうしようもないのですよ。

(以下、特定の書評家さんに厳しいことを言います)

まずね。日本の出版界って長いこと「雑誌・新聞の書評」が販売に直結するという傾向が強いのですよ。
それこそ大手文芸同人誌のレビュー欄なんてみんながずっと気にしてやってきた訳です。
推理小説だとSRの会の河田陸村さんとか。純文学では近代文芸とかね。
従って「しっかり評価して推薦するからこそ売れてWin-Win」だと言える世界だったのね。

ところがその風向きが変わりだしたのは文庫戦争末期。

※文庫戦争:角川文庫がエンタメ路線になった事で発生した出版社側の売り場争奪戦。既存出版物の出版権を手放さない為に各社乱立したが、逆に体力勝負となって撤退した所も多数。

元々文庫本の巻末解説は「この作品の歴史的背景は」とか「作者の紹介」とかそういうものに費やされてきたのだが、書き下ろし新作などが出てくるとそれもネタ切れになってきて、現れたのが幇間解説者(どんなに駄作でも褒めることしかしない人のこと)。
さらにこれが悪化したのがノベルズ戦争。

※ノベルズ戦争:角川書店が新書版小説に参入したことで発生した売り場争奪戦争。実は文芸雑誌と背丈が同じなので駅の売店に納品しやすかった為、文芸小説雑誌社がこぞって参入した。あっという間に飽和してしまった。特カッパノベルズが開拓したトラベルミステリーが「東京-新大阪間で読み切れる程度の作品」という事で出張のお供として人気を博した。

結局過剰供給による作品品質の低下で、幇間解説者も乱造された。
いや当初は良質のレビュアーだった人が幇間解説者になってしまったのもあるのよ。

そいでもって、ノベルズ戦争末期に現れたのがインターネットのホームページ。
結果として「否定意見の切り捨て」による言いたい放題玉石混同なんだけど、そこで一定の評価を上げた人が「書籍の帯に現れる」事になるのね。
※一番それで目立ったのが大矢博子さん。

こういう時期に、丁度書評家の世代交代が始まって、それまで推理小説では主流だった中島河太郎や権田萬治から新保博久や山前譲なんかに遷移していった(当時30代)。SFは少し遅れたけどね大森望あたりが出てきた。
問題はこの頃、話題をまとめる人と書評のコアという人がずれていた事。
特にまあ、我孫子武丸と散々やり合った茶木則夫(もともとミステリ専門店の店長だが、バブル崩壊後に店を閉めて書評家に転身した。ただ、この人の価値は「小説推理」でやってた「当店の販売ランキング」であって、語り口が現代っ子風というだけで長く勝負させてもらえるというのもどうかと思う)なんかが結託して「このミス」でやらかしていたあたりで、相当選別されたと思うんだよね。
※当時の匿名座談会で笠井潔とやりあったメンツで今残っているのは新保博久と大森望くらい。

結果として言ってしまえば、「その人が良き読み手」であるかどうかと「良き評者」である事は別で、「良き評者」がインフルエンサーになれるわけでもない。
昔から比べて読み手側が「我慢できない」のだから、TikiTokだろうかTwitterだろうが、自分の推しが「いい」と言ったら「いいに違いない」と勘違いしてくれるような風潮は、もうとっくに出来上がっていて、たまたま今回TikTokで目立っただけなのだ。
豊崎さんがそこを揶揄して「出版業界に対して」嫌味を言ったようにしか見えないのだけれど、それで心が折れて辞めてしまう側の方が問題だと私は思う。
だったらそもそもSNS辞めた方がいいのである。

他人の自慰を肩越しに除いて自分がイけるか?

いきなり妙なタイトルでごめんなさい。

同人誌《幻影城 終刊号》を読んだ時の正直な感想です。

これが欲しくてジュンク堂まで行った訳ですが、前作『幻影城の時代 完全版』から思っていた事が結果、タイトルなんですね。

幻影城の時代 完全版 (講談社BOX)
ASIN/ISBN:

 

講談社(単行本/668頁)
一刷刊行日:2008-12-17
定価(税込):¥ 6,090

   

結局、この終刊号というのは、「ファンのノスタルジー」の産物でしかなくて。

いや確かに雑誌が終わってから30年以上経過している中で『幻影城の時代』という「同窓会」をやりましょう、という所までは判らなくもない。
あくまで同窓会だから、ノスタルジーはありだ。だが、そこで終わりになるべきもので。
それを世に出すに当たっては「その雑誌の成立過程や舞台裏などの資料性のあるもの」として提供することが大事なので。そういう意味では前作が商業主義出版されるにあたってプロである本多正一氏の手で再編集されたのは正解だったと思う。
でもね。いっちゃ悪いが《終刊号》はアマチュアがアマチュアでプロの仕事パクッただけなんですわ(レイアウトが似ているだけ)。

そもそも同人誌、特にサブカル同人誌(漫画同人誌も含む)は編集人の自己満足で構成されるものなので、仕方が無い面はあるけれど、明らかに自慰行為な訳ですよ。

自慰行為なら、自慰行為らしくコミケで手売りすればいい。余ったらとらのあなで通販すればいい。

何が嫌って。前作を通じて「思い出の・憧れの・青春の憧憬の」というものばっかり。唯一今回、「負の影響」についてと「この出版についてを最後にチクっと嫌味こいた」2つの原稿があった。

推理小説系の誤解で《新青年》が凄いという扱いをされている(実際世間に与えた影響はそんなに大きくない。どっちかというと大手の《キング》に比べて発行部数で1/10以下だし、増大号以外でミステリなんて1~3作しか載ってないという事実がある。でもそこはみんな無視する)のと同じで、実は《幻影城》は過大評価されていると思うのである。

なので、「島崎さんLove!」ではない批判的な視点で振り返る『幻影城時代を考察する』ような作品が出てきて初めて、真の終刊なんじゃないかなあ。

翻訳家・小鷹信光氏の訃報

朝日新聞サイトより

---以下引用---

小説「マルタの鷹(たか)」の翻訳などで知られる翻訳家で作家の小鷹信光(こだか・のぶみつ、本名中島信也〈なかじま・しんや〉)さんが8日、膵臓(すいぞう)がんで死去した。79歳だった。葬儀は近親者で行い、後日「偲(しの)ぶ会」を開く予定。喪主は妻光子(みつこ)さん。

翻訳やミステリー評論を数多く手がけ、特にハードボイルドの分野で活躍した。評論集「私のハードボイルド」は2007年に日本推理作家協会賞(評論その他の部門)を受賞。作家としては故松田優作さんが主演したテレビドラマ「探偵物語」の原案者としても知られる。

作家のほしおさなえさんは長女で、批評家の東浩紀さんの妻。

---以上引用終わり---

まあほとんどがどこかの通信社の配信記事コピペしたようなものなので。

この人の訳書はハメットの『赤い収穫』(ハヤカワ文庫)くらいかなあ。あ、原題は『Red Hervest』。創元の方の『血の収穫』の方が訳題としては有名かも(sというのも、ポケミスか何かで紹介されてから、ハヤカワは暫く刊行していなかったから)。

赤い収穫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 143‐2))
ASIN/ISBN:

 

ダシール・ハメット
早川書房(文庫/330頁)
一刷刊行日:1989-09
定価(税込):¥ 756

   
血の収穫 (創元推理文庫 130-1)
ASIN/ISBN:

 

ダシール・ハメット
東京創元社(文庫/314頁)
一刷刊行日:1959-06-20
定価(税込):¥ 821

   

 ぶっちゃけ、今でもこれ訳がわからない上に小鷹さんの硬い文体についていけなかったので、ハードボイルドの立ち位置を理解するには及ばなかったなあ(これは私が未熟だからである)。

この人の自伝がこちら。

私のハードボイルド―固茹で玉子の戦後史
ASIN/ISBN:

 

小鷹 信光
早川書房(単行本/519頁)
一刷刊行日:2006-11
定価(税込):¥ 3,024

   

中でほんの僅かしか触れられていないのだが、テレビドラマ『探偵物語』の原案担当。ただ、DVDで見た限り、ほとんど松田優作の作品(工藤の造形の殆どが松田のアドリブから生まれている)なので、その評価を本人はよしとしていないと思うのである。

いずれにせよ、それまで詩人が中心になってリリックな文体で展開していたハードボイルド翻訳に一石を投じたんじゃないのかな? そういう評価をして上げてほしいものです。

何故ツタヤ図書館が嫌われるのか

いやさ、色々意見出てますけどね。
そもそも蔦屋書店って一部の大型店除いて、全く魅力の無い本屋で、それこそ啓文堂(京王グループの本屋)といいとこどっこいの勝負というか文教堂(の大日本印刷傘下に入る前)程度というか、つまりは「配本されたのを右から左に扱う本屋」な訳で、だから本好きの集まる(それは買い手もそうだが売り手も)ところではない。
ぶっちゃけ「政略的に狙ってみました」な代官山系統が話題になっているけれど、あれが20年続いて初めて文化なので、そこから担い手が全国に広がった輪手下もないので、棚のセンスなんて偏るの当然。

しかも、ベースはレンタルビデオのノウハウだから、「市税という名の会員料で回転率重視でセレクト」ってところが、そもそもの図書館というものの持つ使命とは異なる文化なのである。

でもって、実は武雄の成功例を見て言えるのは、「別にCCC一色でなくても、業者選定さえ間違えなければ似たような物は市でも出来ますがな」っつう話で、そうなると「図書館の基本機能である蔵書管理と資料管理は今までの体制でも良くないかい?」って話になる。

従来の図書館の欠点は「静かにしなくちゃいけない」だの「館内の飲食は制限」だのというところで、ふつーの喫茶店併設して貸し出し後そこで二時間くらい居座って読んで返却、でもいい訳だから、そういうスタイルさえ出来ていて、かつ「開放的な書架」とか「かっこいいインテリア」とか……なんだ池袋のリブロ館開設当時と一緒だわ、というところが通ればそれで良かった話なのである。

※そういう意味では長野県飯田市立図書館は、30年前にそういうデザインにしている。但し飲食店は併設されていないが。

なので、ぶっちゃけの話「CCCだから凄い」んではなくて「それまでが酷すぎた」というだけの事なんじゃないのかな。それを勘違いした自治体がハコモノ行政と同じで考えなしにホイホイ乗っかったから叩かれる訳で。
そこに「本に対する思いがあるか」の欠如は、海老名でも露骨に現れている。つまりこの人たちは「貸本屋」をやろうとして「資料管理」をおろそかにしちゃった訳ですよ。武雄で問題が出て勉強して……ではなく、元々書籍を扱うに足る文化がないだけなんだな。

これが丸善ジュンク堂だったら、こんなに批判されなかっただろう。そこに、本屋としての文化の差が現れている、という話。

※もっとも、反対派の意見は「公共物が利益至上主義になるとはけしからん」という公共出血サービス神話至上主義から来ているので、それに煽られて勘違いしちゃいけないんである。いかに公共サービスでも、サービスの質の向上の一つに無駄な出欠は見直すという思想も必要なのである!

久しぶりに読んだ本だが

どうも老眼が顕著になってから読書意欲が衰えたように気もするが、久々に一気読み。

フィルムノワール/黒色影片
ASIN/ISBN:4103775076

 

矢作 俊彦
新潮社(単行本/571頁)
一刷刊行日:2014-11-29
定価(税込):¥ 2,484

   

もうね。「日活ハードボイルド」と「香港ハードボイルド」を一気にまとめあげた「宍戸錠Love」な話。よもや作品中に本人を登場させるは本人が打たれるはやりたい放題。
粋なヨコハマを愛する矢作さんとしては、現在の横浜では寂しいのかも知れないな。 

ただ、二村永爾が退職して食卓になっていたのにはビックリ。あの『真夜中へもう一歩』の頃の感覚で読んでいると、そこに違和感を感じてしまうのだけれど。

そしてもう一冊

だれの息子でもない
ASIN/ISBN:4062192489

 

神林 長平
講談社(単行本(ソフトカバー)/298頁)
一刷刊行日:2014-11-11
定価(税込):¥ 1,674

   

こちらも久しぶりの神林ワールド。でもなあ。帯に西尾維新とか虚淵玄がアオリ入れているってのは、なんか時代と言うよりセンスないというか。格が違う者がご推薦だ何て、講談社の文芸の質が落ちているようにしか思えん。 

リブロ池袋店閉店に思う

一応カテゴリは「読書」です。

この書店については、以下の書籍をお読み戴くのが一番だと思います。
 

書店風雲録 (ちくま文庫)
ASIN/ISBN:

 

田口 久美子
筑摩書房(文庫/345頁)
一刷刊行日:2007-01
定価(税込):¥ 929

   

ちなみに私が持っているのは元版のこちら

書店風雲録
ASIN/ISBN:

 

田口 久美子
本の雑誌社(単行本/277頁)
一刷刊行日:2003-12
定価(税込):¥ 1,728

   

実家が東久留米にあった関係上、地元の本屋で満足出来なかったくぼたさんに母親の悪魔のささやき「池袋西武の本屋に行ってごらん」。
当時の池袋は、東口の「西武・書籍」と「パルコ・三省堂」、西口の「東武・旭屋」とビルの最上階に古本屋がある「芳林堂」と、巨大書店がたくさんあった訳ですが、ミステリ・ジュブナイルSFにはまった頃のくほださんには東口側だけでもうおなかいっぱいだった訳です。
当時の池袋西武書籍は、10階にコミックスと児童書、11階に文庫・新書・小説・参考書・人文科学などなど、12階にアール・ヴィヴァン(隣の西武美術館にあわせた美術書)といった構成で、もう本に酔うには最適。(ちなみに10階は確か半分がレコード屋・後のDISKPORT)

後に隣に別館(イルムス館)が出来た時にその地下1~2回に移った時が、一番面白かったなあ。出来てすぐの頃に地下二階が大雨で漏水した騒ぎとか、逸見政孝の追悼フェアを禁止されて平積み撤去した所とか、実際に見てるし(思えば「トットちゃん積み」の現場も見ていたかも知れない)。ちなみにイルムス館出来た時にLOFTが生まれ、直後くらいに改装期間だけイルムス館の向かいにディスクポート館が出来ていた。あっという間に無くなったけど。

このリブロ池袋の最大の特徴は、都内唯一の「詩の専門店」があった事。二度目の改装移転(現在の書籍館地下1階を使うようになり、地下2階をデハ地下に譲渡したあたり)までは存在していたんだけど、やはり堤清二が代表降りてから、太鼓持ち的に作られていたものでもあるので、つぶれてしまった(ってか、書籍館地下時代はコミックコーナーの隅だったもん、あれは厳しいよ)。
それでも児童書専門コーナーとか、凄く独特な棚作りと、やっぱサブカル的な本(それこそ出久根達郎の初期の本とか)が充実していた。そう、それは神保町に行く必要が無いくらい。書泉2店舗と三省堂本店をあわせてもなおあの魅力には追いつかなかったなあ。

ただ、それも堤清二失脚以降は力が衰え始め、ジュンク堂の増床が決定的になって、それこそ「そこいらへんの本屋」になっちゃったもんね。

※堤清二は学生時代から詩人・辻井喬として活躍していた。

結局「書店~」シリーズの田口さんも主要スタッフ離脱後(定年やアール・ヴィバンの独立、あるいは病没という事も含めて)にジュンク堂に移ったぶん、ジュンク堂の棚が面白くなった訳で(ただし、出版点数の減少から、棚を構成する弾がひからびている気がするけど)、結局「棚を見て、ワクワクするかい? 通路をあるいてウキウキするかい?」というのが大型書店の醍醐味だと思うので、そこから離れたリブロ池袋は、こうなる運命だったのかも知れない。

個人的な読み。現在別館が無印良品メインになりつつあるので、書籍館を無印良品に、別館にロフトを移動するんじゃないかな。一部ではトーハン系のブックファーストが居抜きで入るという声が出ているけど、多分池袋西武側には書店は入れず、パルコの三省堂でお茶を濁すと思うんだよね。

一時代が終わったかな、というよりも「15年死に体だったものが幕を下ろす」という事のように思えてならない。

ちょっと残酷かも知れないけど、くぼたさんの青春の残滓が消えるということです。

ひさびさに読んだひどい評論

いやいやいやいや。これはひどい本だ。

日本ミステリー小説史 – 黒岩涙香から松本清張へ (中公新書)
ASIN/ISBN:

 

堀 啓子
中央公論新社(新書/272頁)
一刷刊行日:2014-09-24
定価(税込):¥ 950

   

何がひどいかというと、ウエイトのかけ方がひどいったらありゃしない。

  • 冒頭、欧米ミステリーの誕生までに触れているが、ポーを否定してディケンズを持ち上げている。まあそれは良いとして、その基準で行くなら須藤南翠「殺人犯」を黒岩涙香「無残」より立てねばならないのに、それは却下。 
  • 涙香が登場するまでに70ページ、そのほとんどがミステリー以外の物語。
  • 「涙香から松本清張まで」としているが、「涙香から新青年前夜まで」に100ページ、「新青年から松本清張前夜」が63ページ、「松本清張・仁木悦子・中井英夫」の所だけで23ページ。
  • 新青年時代、宝石時代ともに超有名作家を舐めるだけ。しかも小栗虫太郎はパス、宝石やロックについてはスルー、横溝も『蝶々』パス。

つまり。この人があとがきで触れているとおりなら、「尾崎紅葉が好きで近代文学に入りました。硯友社が探偵小説やってます。今その末裔のミステリが盛り上がってます。その関係を、自分の大好きなエリアを軸に書きました」で、かつ「自分の関知しないところはサラサラ・スパッと孫引き系一般論でいいよね」という無いような訳ですよ。

そもそもこういう議論の際に避けて通れない文学論層(いわゆる「小説神髄」系の純文学論争も、推理小説の中の「健全派・不健全派」「一人の芭蕉の問題」「文学論争」も!)がほとんど扱われていない-健全派・不健全派を表面的に舐めてはいるが、その程度。
ってか、なんか過去の研究をついばんで自分のやったかのように羅列しているだけ。特に谷崎以降は完全に読む価値ないし、これ読むなら古本屋家捜ししてでも中島河太郎『日本推理小説史』とまだ新刊書店にあるはずの郷原弘『日本小説論争史』を並べて読むことの方が有意義だなあ(そこに横田順彌『日本奇想小説史』があればほぼ完璧)

蔵書登録一七〇〇番

って、1700冊って意味じゃないんですけど(それ以上あるのは確か)

とりあえず端から整理して、以前からの積み重ねの分とあわして1700番。

いま「くら」のあたりですが、この後栗本薫が待っている(笑)とは言えグインも32巻くらいまでだからなあ。

一太郎2013からのKindleファイル生成

アップデートが出たこともあり、一太郎2013がmobiファイルへのコンバートが出来るようになりました。

※ついでに。2月下旬にKindleフォーマットも一部改訂されたようなので、コンバーターなんかもアップデートした方がいいです。メニュー周りの規格が変わった模様。

結論から言うと、一太郎で完結させたものを、そのまま出すぶんには使えますけど、それだけでは使えないような気がしますね。

一番きついのは「目次対象行にルビが振ってあった場合、目次機能では()内に開く」という悪癖。
つまり「輝(かがや)き」みたいに表示されること。
目次の場合、ルビなしにしたいと思うんですがね。

まあ、Kindleフォーマット用に自動生成される目次頁(メニューの「移動」に表示されるものをここでは「目次機能」、表紙の次のページとして読み込まれるのを「目次頁」と称しています)は極めて使い勝手が悪いので、ぶっちゃけ「本文としての目次」を生成した方がいいかもしれないけど。

そういう意味で、色々加工したい人は、epub3に変換して、ツールで補正してからKindle化した方がいいようです。
尤も、今回の規格変更の結果、勝手に目次頁が作られてしまうような気もするんだけど。

「青空文庫がアブない」とかいう発言についての個人的見解

なんかの弾みで見たので、元記事がどこにあるかも判らないままなのですが。

この元発言をされている方は「無名の、どこのだれか判らないの人間がテキスト起こしした事で、送り仮名やルビが崩れるのが許せん。このようなものはしかるべき人の手によって正しく書き起こされたものであるべきだ」と言いたかったようなんですが。
なんか、言いたいことも整理できてないまま揚げ足取りで終わってますって感じ。
ついでに言い方も稚拙ですわ。

そもそも送り仮名は作者振らないしねえ、殆どの場合(確かゲラ以降の話になるので、編集と校訂の仕事に著者が同意したって話だ)。さらに著者原稿がそのまま通らなかった場合(編集による手直し指示を示す)、元原稿と改訂原稿とどちらが正しいか、なんて判るはずも無いわけですよ。
それを厳密にやるのは研究者の仕事ですよ。ええ、そこまでは判らなくもない。

じゃあ、世の中に出ているすべての書籍が、そのような厳密な監修の元で正しく出ているか、というとそんなことは無いわけで。
逆に平井和正が『狼男だよ』で元版会社と大げんかして干され、その後も角川書店や徳間書店と一時期良好な関係を持ちながら改竄騒ぎと称して大げんかして袂を分かったりするのはどうなんでしょう。
いや、もっと言うと堀晃『太陽風交点』文庫化問題においては、著者改訂版と元版写植版のどっちも編集のチェック通ったものなので、元発言の言う「しかるべき人」って誰になるのさ、という問題だって浮かび上がる訳で。
いやいや、角川文庫の横溝正史作品の章立ての変更問題なんてもっとひどいことだよね。

だからこの人は発言を間違えているのですよ。

くほださんなら、こういいます。

青空文庫は「ゾッキ本」だから、まともに研究に使いたい、あるいは本来の著者の意向に沿ったものとしては、青空文庫以外のしかるべきテキストを用いるべきだ。
現行の「著作権失効した作品に対する電子書籍」の選択肢が青空文庫一択というのは、如何な物か。しかるべきテキストに対して、今後の研究・改版の為の基金の積み立ての意味を込めて、有料のテキストが提供されてもしかるべきではないだろうか。

確かに著作権失効した以上、金銭的な原価は下がってしかるべきですけど、ある程度研究したり徹底した校訂・異同調査をしたりするなら、そこは対価が発生してもいいと思うんですよ。
著作権がなくなった事と、編集・確認することの手間は別だからね。

だから、青空文庫が駄目とか、青空文庫はいかんとか言う話では無くて、あくまで「ゾッキ本」、小栗虫太郎における高志書房版、古典探偵小説における桃源社大ロマンの復活版、手軽に入手できるものであっても、その程度の物、という事だと思います。

例えば岩波書店が『夏目漱石全集』を今年改版した歳に電子書籍化したとして、それを青空文庫があるので同額の0円で売る、というのは間違いだと思う、と考えるわけです。だって、こういう校訂・異同確認って、凄い時間も精神力も消耗するから、その為の対価を編者が得てもいいんじゃないですか?
また、この場合の取り決めとして、最新版が出てから5年(だいたい品切れ判定されてから2年)は、その版をベースにしてのテキスト化はしない、などの取り決めが必要だと思うのです(しかも、出切れは品切れになったことが前提で)。

青空文庫を否定してはいませんよ。ただ、出版社「青空文庫」と、他の出版社による差別化があってもいいじゃないか、その為の価格差が存在してもいいじゃないか、という事です。