この状況下でライスボウルが実施されることについて

とあるサイトで

「そこまでしてやる理由が何処にあるのか?」

という発言があったので、そに対しての個人的見解。

確かにイベントの観客上限が5000人に制限された(ただし既存発売分に関しては感染予防の徹底の上で、発売完了分までを上限とする)訳だけど、実は「それは単に観客の有無」という興行的な側面の話であって、試合の開催有無とは関係ない話な訳ですよ。

試合開催の有無は、出場チームの選手・スタッフ、および運営側の感染状況と防疫体制のよるものであり、現時点でそれを理由にかいさいを断念したスポーツ大会は存在しない訳で、逆にそれが故に「催行」の観点から見て「中止に至る決定プロセス」に入れないという状況だと考えられる訳です。

じゃあ年越しライブを中止した浜崎あゆみやさだまさしはどうなるんだ、という頓珍漢意見が聞こえて来そうなのでそこも注意が必要で。
音楽イベントにせよ観客参加型イベントにせよ、そもそも「不特定多数の「観客」と呼ばれる来場者」が存在しないとイベントが成立しないのであるから、無観客でやるかイベントをやらないかの二択で済む訳です。
ところがスポーツイベントは「選手同士の対戦」が出来れば止める理由は無い訳です。観客というのは飽くまで「会場使用料の負担をしてくれる人」なのです。

そして、イベントというのは「開催する」と決める事より「一度決定した開催を止める」事の方がン億倍近いエネルギーを使う事があるわけです。それは開催予定決定時を0とした横軸が増大すると供に縦軸に伸びていく「ステークホルダーの数」に比例して乗数的に伸びていく曲線のようなもので、「止めるのに必要なエネルギー」と「発生する経済的負債」は似たような曲線になる訳ですわ。

従ってイベントを止めるという時に考えなくてはならないのは「そこまでしてやる理由が何処にあるのか?」ではなく「そこまでして止めなくてはならない、致命的な理由があるか」なのです。忘れてはいけないのは「致命的な理由」って所で、つまりは「催行保険を受け持った保険会社が、保険の適用を躊躇無く判断できる(負担比率はともかく)」ほどの理由か、という点で判しなきゃいかんのです。

つまり「そもそも試合として社会人対学生は役目を終えていると思っている」が理由で、そこにコロナ騒動が重なっただけで中止にするというのは、私が保険会社だったら「そもそも試合の意義については、開催時点で解決しているので、そこに抵触していない限りは自主都合によるものなので、保険は適用出来ない」で終わりですわ。
※これが政府から「集団競技がパンデミックの温床となるので、練習等を含めて40人以上の集団となるものについては開催について配慮が必要である」とか出ているなら別だが。

つまり、「社会人対学生」でなく「社会人対社会人」「学生対学生」であっても「開催出来ない」という判断に至る場合以外、。開催を止める理由にはならないと言う事です。