「最後のブルトレ」の気持ち悪さ

最近の分類では「乗り鉄」というカテゴリに属されるようなんですが、私は。
わざわざ分類して差別化しないとアイデンティティが維持できない、というのは情けないと考えているので、余程のことがない限り「私は鉄道ファンです、特に汽車旅が好きですね」と言い切ることにしてます。

そもそも汽車旅というのは「経過を楽しむ」「車窓を楽しむ」というのが魅力の旅だと思っていて、目的地のみで満足する「旅行」とは異なる物だと思っています。
だから、日程がかみあえば往路は鉄道、帰路は飛行機という事にしています(感動は即刻持ち帰るという意味もある)。さらに言うと、新幹線は極力回避。

そんななかで、格安料金を売りにした夜行バスが登場したこともあって、夜行列車が激減しているのは悲しい限りです。
※実際には、飛行機の早期予約という奴が出てから「宿泊費が浮く」という事が無くなり、仕事での夜行メリットが無くなった事、開放型である寝台車の構造が時代と共に嫌われてきた事などがあると思います。まあ、高速道路も相当整備されたので、マイカー移動万歳という時代になったのもあるんですが。

正直、これからの夜行列車は「東京を夜8時~11時に出て、目的地に朝7時に到着して、専用ラウンジでひとっ風呂浴びて朝飯喰って、朝9時に客先にサッパリした顔でご訪問」というスタイルのビジネスホテル代わりの車両か、豪勢な旅行向けの車両しか生き延びれないと思いますね。だから、新造車両は全部B個室ソロ形式でないと。

そういうご時世ですから、はっきり言って客車型夜行列車というの廃れても仕方ないと思ってます。使わないんだから廃止は仕方ない。それは我々が見捨てた事なんだから。過去の国鉄廃止路線も、全て「地元が使えないと言っている以上、それは残せない」というだけの話であって。

そこで、3月13日発のスジで廃止になった「富士・はやぶさ」のニュースを見て、非常に気持ち悪かった訳です。

俗に言う「葬式鉄」というんですか? 廃止になると判るとノコノコ現れては「ありがとー」とか「ばんざーい」とかいう馬鹿たれどもの事です。
記念乗車とか、そういうことなら判るんですよね。
でも、それならば自分は脇に控えているべきなんです。目立ったことょするのは自分に酔った痴態でしかないんです。「俺は今、最後の瞬間に立ち会っている」っていう、小汚い自己顕示欲に満足しているだけ。

万歳とかありがとうと言う言葉を残せるのは、正直言って昭和組だけ。JR分裂前に常用していた人たちだけです。いったい、あの列車を常に(つまりは自分の一年のライフサイクルの中に存在したかどうかという意味)利用していた人が何人いるというのか。そういう視点で見てみたら、廃止されるいわれは「廃止むたいなイベントがないと出てこない馬鹿野郎どもが金を存続のために何一つ落とそうとしないから」という至極まっとうな理由が浮き彫りにされる訳だ。
よって、あの場にいた殆どの葬式鉄とかいう奴らは「己の手で滅ぼしてしまったものに対して、わざわざ最後の花道を飾らせてやるためにトドメを差しに来たようなもの」でしかないんですよ。

なんだか、ああいう輩がむらがるのは、みっともないし気持ち悪いと思います。
だから、自分が言うのも何なんですが、オタクってのは駄目だな、マニアとかファンでないと、と思う訳です。
(オタクは片思いの押しつけに過ぎない、マニアやファンは対象物に敬意を払う面がある)

ああ、あとJRは「動くビジネスホテル」というコンセプトを検討する方がいいです。名古屋-仙台とか、東京-広島とかで。6両編成くらいのでいいですから。