何故ツタヤ図書館が嫌われるのか

いやさ、色々意見出てますけどね。
そもそも蔦屋書店って一部の大型店除いて、全く魅力の無い本屋で、それこそ啓文堂(京王グループの本屋)といいとこどっこいの勝負というか文教堂(の大日本印刷傘下に入る前)程度というか、つまりは「配本されたのを右から左に扱う本屋」な訳で、だから本好きの集まる(それは買い手もそうだが売り手も)ところではない。
ぶっちゃけ「政略的に狙ってみました」な代官山系統が話題になっているけれど、あれが20年続いて初めて文化なので、そこから担い手が全国に広がった輪手下もないので、棚のセンスなんて偏るの当然。

しかも、ベースはレンタルビデオのノウハウだから、「市税という名の会員料で回転率重視でセレクト」ってところが、そもそもの図書館というものの持つ使命とは異なる文化なのである。

でもって、実は武雄の成功例を見て言えるのは、「別にCCC一色でなくても、業者選定さえ間違えなければ似たような物は市でも出来ますがな」っつう話で、そうなると「図書館の基本機能である蔵書管理と資料管理は今までの体制でも良くないかい?」って話になる。

従来の図書館の欠点は「静かにしなくちゃいけない」だの「館内の飲食は制限」だのというところで、ふつーの喫茶店併設して貸し出し後そこで二時間くらい居座って読んで返却、でもいい訳だから、そういうスタイルさえ出来ていて、かつ「開放的な書架」とか「かっこいいインテリア」とか……なんだ池袋のリブロ館開設当時と一緒だわ、というところが通ればそれで良かった話なのである。

※そういう意味では長野県飯田市立図書館は、30年前にそういうデザインにしている。但し飲食店は併設されていないが。

なので、ぶっちゃけの話「CCCだから凄い」んではなくて「それまでが酷すぎた」というだけの事なんじゃないのかな。それを勘違いした自治体がハコモノ行政と同じで考えなしにホイホイ乗っかったから叩かれる訳で。
そこに「本に対する思いがあるか」の欠如は、海老名でも露骨に現れている。つまりこの人たちは「貸本屋」をやろうとして「資料管理」をおろそかにしちゃった訳ですよ。武雄で問題が出て勉強して……ではなく、元々書籍を扱うに足る文化がないだけなんだな。

これが丸善ジュンク堂だったら、こんなに批判されなかっただろう。そこに、本屋としての文化の差が現れている、という話。

※もっとも、反対派の意見は「公共物が利益至上主義になるとはけしからん」という公共出血サービス神話至上主義から来ているので、それに煽られて勘違いしちゃいけないんである。いかに公共サービスでも、サービスの質の向上の一つに無駄な出欠は見直すという思想も必要なのである!