これは一理ある

烏賀陽弘道の時事日想:「ネット世論」を分析しても、選挙の結果は“逆”になる理由

この「時事日想」シリーズは、時として書き手によって「わざと過激に自分の趣味を正論として書き上げる」きらいがあるのだけれど(誰が、という訳ではなく、途中からそうなった人もいるし最初から大上段に構えた人もいるという事だ)、この記事は非常に的を得ている。
途中まで一緒な次世代の党惨敗、ネット右派頼み限界 理念先行薄い政策が結論部分でぼやぼやとしてしまっている事を考えると(リリースは朝日の方が後)、恐らく前者をネタにして駆け足で書いて、パクりと言われないようにする為に正当単体の話にすり替えた、という気がしなくもない。
が、途中-つまりネトウヨ頼りでは駄目だった、という所は誰でも気がつくことかもしれない。

興味深いのは、

・ネットという意見発信者は若手=政策がピンとこないので選挙に行かない
・選挙という意見発信者は年配=ネットを使って意見発信しない

という図式だ。
もう一つ進めて言うと、「ネット発信者」と「選挙区」の不一致もあるけどね。

これは興味深いというか、もう一歩進めて考えてみる。
実際、55年体制が続いていたときの選挙は「民主主義・資本主義的上から目線の皆平等」対「社会主義・共産主義的隣の芝生は青い的皆平等」の争いで、ちょうど中国共産党化やベトナム戦争時の反共プロパガンダと反米プロパガンダが入り乱れた中での二極化構造だったわけですよ。
実際の所、連合赤軍事件や浅間山荘事件あたりから、反米過激派と繋がっている事を嫌がる傾向が強くなって社会・共産系は力をなくすわけですがね。
で、その結果が若者の組合離れになっていく。
※以前、同世代でもそういう事を知らなかった人が多く、ビックリしたことがあった。

その雲行きを一時期かえかけたのが「おたかさん旋風」で、実は自民に対抗する勢力が社会党しかなかった為の選択枝だったのに、そこをはきちがえた社会党は、のちに自滅することになるのだけれど、それはおいとく。

一番潮目が代わったのが、実はバブル直前の頃すなわち「一億総中流」の頃。つまり、自民の対立選択肢として「棄権」が出てきたのね。家庭で政治施策を話題にしなくなったのも頃で、そういう中で生まれ育った世代が親となり、子供の前で政治施策を語るかといえばNO。円高ドル安についての説明も親が出来ず池上さん頼りのこのご時世、若い世代が政治施策に向き合うと想うだろうか?

これからは「君たちが今選択している事は、未来ではこうなる」という図をしっかり見せることが大事で、それは与野党を超えて「超党派の議員連盟による若者に政治施策を知って貰う為のトークバトル」とか定期的にニコ生で流したらいいんだよね。