ホリエモンは半分間違えている(半分は正しい)

ホリエモンこと堀江貴文氏が、「寿司の板前になるのに修行で10年なんてばかげている」という発言をしたそうな。

半分当たっているけど、半分ハズレ。

どういう事か。

寿司職人と言われている人たちにも階層があると思えばいい。

①あくまで寿司の基本だけ習得した人
②基本に加えて指導出来る素養を持つ人
③経験に裏打ちされた様々な技術を持っている人
④老舗の味を仕切る能力のある人

基本だけ学んでたどり着ける最上位は②抜きの③。つまり一代限りの「一握りの天才」であって、何らかの出来事(言ってしまえば板前本人の味覚の経年による変化が顕著)で途絶えてしまう、言ってしまえば「深みがない」味だわね。
日本料理って恐ろしいことに、出汁の取り方や配合で結構違いが出るのね。洋食慣れした人には判らない可能性高いけど。特に江戸前と大阪では味付けが根本的に違う(混ざってしまっている最近ではあまり意識しないかも)。
という訳で、ホリエモン理論で出てくるのは「回転寿司の板場に立つ人」とか良くて「ホテルの日本食コーナーの雇われ板さん」くらい。夢持って独立して見せ構えても、そこは「日常の味」つまり「かっぱ寿司よりちょっと高級」程度の店な訳ですわ。それはつまり雇いの職人さんもその程度、という事。

なので、どう頑張っても暖簾分けすらしてもらえない「10年修行した人」よりは「料理学校で基礎だけ学んで、あとはビジネスとして店を持つ」事に専念した方が利益とかそういう形で考えると利口、つまり修行する人は馬鹿と言える訳ですわ。まあ、ビジネス起業家ホリエモン的着眼点ですよね。

ところが、その観点で行くと、ほぼ9割の自称天才は「味に深みがない」ので、すぐに飽きられてしまう。時代とともに嗜好は変わるけれど、老舗和食の基本は「時代にぶれない」事だから、センスだけで生き残ることは出来ない。
同じ食材でも時期と収穫地域で味が変わってしまうのを、どうやって同じ味として提供するか、とか、どうしてもその食材が入手出来ない場合にどうやって満足して貰うか、という時のベースの味がないのであれば、古くからの客は離れてしまうだろうし、そこで新しい客が来ない(時代の嗜好に合わないので、来店が消極的になるなど)といったときのベースがないので、喰っていく為の業態変更とかせざるを得なくなる。
でもそれって、寿司屋や料亭として正しくないよね。

という観点からいとく「10年修行して一人前」というのは最低限のお約束という事になる。

大量生産・大量消費型の味でよしとするか、伝統に裏打ちされた深みを是とするか、それによって話は変わるので、半分間違っていて半分正しいという事に落ち着くのであります。
なお、この場合の評価としては「店が25年続くかどうか」です。起業レベルだと3~5年維持出来ればいいみたいな感じだろうけどね。