通信ガジェット

時代は流れる、と言われた頃もあった。日進月歩ならぬ瞬進秒歩だ、などと言う時代もあった訳である
ところが、どんな技術が進んでも使う人が遅れていたなら宝の持ち腐れ。周辺事情も同じという所か。

一番良い例が、手元で仕事を完遂させるツールである。
以前、ノートPCというのは「ラップトップ」というより「出先の机でPCを使う」という道具だった。だから商談用具というより技術者の道具だった、と思っている。
そこで、さまざまなガジェットが登場した中で、実際に「出先で仕事に使えるだけのガジェット」たりえるものがどれだけあったか、なんて言うつもりはないのね。
それは他にいろんな知識のある方がいて、そういう人たちの仕事だと思うのですよ。私なんぞが出張る必要はない。

ただ、日本に於けるモバイル革命は3つあったと思う。
・本当のモバイルPCと言える東芝のLibrettoの登場
・NTTのimode
・写メを筆頭にした付加価値携帯端末(その頂点が着メロだ)
小型軽量化としては、そりゃあIBMのウルトラマンPCとかあった。軽量携帯はワープロ専用機からの流れでもあった(日立のwith meあたり)。でも、本当の意味で「狭い日本、出来るだけ軽くかさばらず仕事が片付きたい」という欲望を満たしたガジェットは、B5ノートというカテゴリが立ち上がらなかった時代に「超小型でもWindowsが動くんです」というLibrettoの登場は、やはり大きかったと思う。

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野球特待生は罪なのか

どうも誤解、勘違いが渦巻いているのが気に入らないのだけれど。

一番最初に感じた違和感は、朝のラジオでたまたま聞いた玉木宏之氏の発言なのだ。
曰く「欧米では地域クラブ主体で子供のスポーツ育成をやっていて、学校単位では行われていない」

これ、明らかな誘導です。騙されてはいけない。
アメリカでは、中学校以降は学校の課外スポーツで子供のスポーツ育成をしているし、旧ソビエトでは国家機関が育成を担当している(ちなみに、共産国家はどこも国家恣意行動としてのスポーツ大会優勝を前面に掲げるため、大抵はスポーツ育成が国家事業だったりする)。従って研究色の強い陸上育成では、クラブ上がりの選手が少ない。
その上でアメリカの学校は、膨大な寄付や賞金・放映権料を得るために特待生を認めている。(アメリカの学校での入学費用が、あのようなキャンパスの広大な規模に比べて安いのは、主にスポーツ-野球、アメフト、バスケ-の放映権収入があるから)。
それにドイツの当初は、学校で体育育成が国家事業として行われていた訳だ。実際にはクラブ制度はイギリス型文化なのである。それをビジネスモデルとして導入したのが現在の欧州クラブ。

で、アメリカで優秀な人材が出てくるのは、「スポーツで生徒を取り合わないように、シーズン制をもっていろんな競技に参加できるようにする」という精度があるため。これに違反すると学校の収入に直接ペナルティが課せられる(罰金が高額だったり、利益配分の減額を言い渡される)為、慎重になるのだ-それでも馬鹿が違反をする事がある-。だから「彼は野球のピッチャーとアイスホッケーのゴーリーだった」とか「あのショートはテニスの選手」とか言う話が出てくる野である。/p>

結局日本の問題点は「高校野球の総取り」体質なんじゃないのかね。その上で綺麗事-いや、戦前の美徳感そのままの発言を繰り返しているアナクロ体質が、問題なんでしょ。

いっそ、朝日新聞と毎日新聞とNHKが「高校球児育成基金」を創設して、優秀なコーチ200人の生活支援+1任地5年のプロコーチ派遣システムを構築した方が良いと思うのだ。そうすれば「優秀なコーチがいないから、野球留学するのだ」とか言う事は無くなる。(その代わりコーチは毎年査定を行い、任期開けで更新審査を行う。更新審査に落ちたり、特定地域に常駐したい場合は生活支援打ち切りと共に生活支援資金の返済が義務となるようにする)

高野連は解体し、日本野球協会がアマチュアを一括管理する

それで解決すると思うのだが。

お墓参り

連休前半を体調不良で寝て過ごしたは、5/1~2はISO絡みでえらく苦労するわで、神経がすり減っておりました。でも後半くらいは少し羽を伸ばさないと。
という訳で、5/3~4は祖父の墓参りに行って参りました。
これは、「おじいちゃんのお陰で家を買えました」という報告を兼ねての事で、今の家に越して来てから(というより契約した時から)ずっと計画していた事です。

くぼたさんの両親は長野県下伊那に実家があり、父方は祖父母共に久保田さんが幼稚園の頃に亡くなられ、また父が婿養子なので、ここでいうのは全て母方の話になります。
さて下伊那に向かうのに手っ取り早いのは何あろう中央高速ですが、この時期年取った両親を渋滞に缶詰にする事など出来ようもなく、電車となります。
電車となっても優等列車が飯田-豊橋間しかない飯田線利用と言うことで(岡谷から各駅停車を利用した方が早いのですが)、新幹線で豊橋に出て、そこから飯田に向かいました。

愛知県と静岡県との境目から、長野県に北上する飯田線。沿線には「豊川稲荷」「長篠の合戦場」「佐久間ダム」「天竜川下り」「駒ヶ岳千畳敷カール」などがあるのですが、何しろ静岡県地域は山の中です。

この写真が、あーた、「浜松市」付近なんですよ。(市町村合併の影響らしい)。

こういうド田舎を、豊橋発飯田行き特急「伊那路号」に乗って旅する訳ですが、田舎ですよはっきり言って。30年前の景色-つまりくぼたさんが初めて一人で急行列車に乗って飯田-豊橋間を往復した小学校4年の夏の頃と、景色が殆ど変わっていない訳で

そんな飯田線南部のハイライトの一つがここ、湯谷温泉駅から進行方向右手に見える鳳来峡です。
この景勝地、川底が一枚板に見える事がウリなんです。両親とは「次はここに一泊だね」などと言っておりました。
もう一つのハイライトは、天候が悪くて撮影断念。
あまり人気はないかも知れませんが、大嵐-平岡間に、佐久間ダムによってせき止められた天竜川の蛇行が見られるのです。ここもいい景色ですよ。

祖母が現在施設に入っているので、そこまで行って、10年ぶりのご挨拶。祖母が施設に入ってからしばらくは夏休みに帰っていたのですが、病気で倒れてからは邪魔になってはいけないのと見るに忍びないのとで、訪問していなかったので。
写真は、丁度咲いていたりんごの花。

翌日はお墓参りして来ました。お寺の周りの新緑がとても美しくて、思わず「萌えるとは、本来こういう景色に対して使う言葉だねえ」と感嘆しておりました。

でも残念なのが、藤。この地区はあちこちで藤を売り物にしているのですが、まだもう少し早かったようです。

それにしても、花に近寄れない。東京だとそんな事はないのでしょうけど、周りに大型の蜂が群がるように飛んでました。

……これって、推理小説で使えないかなあ。

それにしても、噎せ返るような藤の香りでした。

ブログ始めました

なんだか「冷やし中華始めました」みたいで、しかもひねりのない書き出してすが。

この度、文左衛門がほぼリタイア宣言をした関係(仕事の都合で、どうしてもこちらにかかわることができなくなった)で、初期Bunza.netメンバーが全員離散してしまった状態なんですね。
そこで、生存証明を兼ねて、なんか常に書き込むことができる環境を作ろうと思った訳です。
とはいえ、ちゃっかり「検索エンジン大嫌い」はしとこうと思うのです。
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