ライスボウルに関する様々な意見に関して(5・終)

最後に総括するけど。

肝心なことは「現状を変革する」ときの方向性であって。

後ろ向きな懐旧的方向に行くと、それは縮小であると同時に自壊する破滅の第一歩である。

建設的な、前向きな意見であればそれは討議に値する。

果たして現在、日大関学京大ロートルOBが声高に叫んでいることは、どちらなのだろうか。

そしてそれが外周部(アメフトに軽く興味を持った程度の人や、あまり関心が無い人)にどう取られているか判っているのだろうか。

特に関学京大の二強時代のファン、日大関学の甲子園時代のファンがスタンドやネットでふんぞり返っている事が現代っ子に嫌われていて、それが観客減に通じているという意見も聞き及んでいるのに、そこはガチ無視というのはいささか情けない話である。

ぶっちゃけ、今回ライスボウルに観客が集まったのは、恐らく「前年より招待券が撒かれた」可能性の方が高い(どっちの、という訳ではないが)。また、例年関学の方が客の入りが良い。そういった多少裏側の諸条件のを勘案しても、学生サイドのファンの抗弁は実に見苦しかった。

そんなに嫌なら、日本協会から出て行っていいんだよ。野良フットボールでいいんだよ。

それが社会人側の一ファンとして、傲慢で高慢な関西学生第一主義者に対する野次である。学生側のスタンドから響き渡る下劣な野次と同等の言葉であるからして、この言葉に対する感情論の反論は受け付けない。

少なくとも、個人的には彼らロートルOBや古参ファンと呼ばれる人の傲慢不遜な言い分の方が、フットボール普及に対する妨害行為にしか思えないのである。

……少し言い過ぎだったかも知れないけど、ここ数年の鬱積した怒りみたいなものを、一度吐き出させて貰う意味で、上記の言葉は取り下げない。

ようするに、時代は変わったし常に変わるのだよ。いつまでも蛮カラ気取って裃着て六根清浄唱えて水垢離してから観戦するなんて時代ではないのだ。

※一応断っておきますが、一〇年くらい前までは学生も社会人も見てましたが、学生のスタンドで審判や運営を罵倒したりする確率がとてつもなく多く、とにかく悲惨な上に吐いた圧力まで掛けられたので、学生ロートルファンが言う「社会人の応援の同調圧力がひどくて嫌だ、学生の方がいい」とか言う寝言は絶対に信じてませんし、そういう「自分に都合の悪いことはほっかむりしてスルーする」人たちの言動に呼応する気は全くありません。故にこういう論調になる訳です。ご理解くださいとは言いませんが、一度冷めた目線で自分たちの周りを見てみません?

ライスボウルに関する様々な意見に関して(4)

あくまでライスボウルは「国を代表する統括団体の主催するその国最高位を決定する試合」であるべきで、ここへの道を閉ざしてしまう事はすなわち自動的に「(冠なしの)日本一」は名乗れないことになる。
すなわち「社会人日本一」と「学生日本一」が並列したとき、国外に「ナショナルチャンピオンはどのチームだい?」と言われた時に誰も答えられない事になる。ちなみにアメリカやカナダの場合統括団体がある訳ではなかったので、現状カレッジチャンプがナショナルチャンプである。
こと欧州を相手にする場合、アメリカを起源としたカレッジスポーツの思想は馴染まない(欧州では大学は本当に専門機関なので、スポーツに関してのカテゴリには存在していないと取るべき)ので、この「ナショナルチャンプ」を決める試合を自ら手放した結果、大学チャンプは未来永劫「ナショナルチャンプ」にはなってはならない、という事になる。
だいたいユニバーシアードが注目されるのは北米大陸と東アジアであって、他の所では高卒クラブが圧倒的に多い。逆に言うと大学というカテゴリは国際大会にもそれほどありがたがられるカテゴリではない(年齢的にも欧州修学年齢のカテゴリーであるU16、U19がメイン。サッカーだけがU22で分けているけどそれは五輪がらみだ)。

その中で、もう一度ライスボウルの意義を見直したときに、ただ単にどう見ても「指揮官の戦略上の失策に基づいた敗北」であることから目を背けて「役目が終わった」ことにして良いのだろうか?

なんとなく恣意的な、かつ懐古主義的な意見で、あまり好きには慣れないと言うよりはっきり言って嫌いだ。個人的にこの試合で役割を終えたのは鳥内監督を頂点にした体制の方で(方法論は確立したが、そこから発展するための次のプロセスに進めていない、という意味)はないだろうか。

そういう「学生が常に勝てる条件(あくまで80年代のように「社会人が勝つのがラッキー」という状態)」をライスボウルに求めているのなら、確かに「ライスボウルは一定の役割を終えた」事になるが、それはあまりに酷い理論である。っていうよりそんな指導者の元でアメリカに勝つ選手が生まれるとは到底思えない。そこが着地点でないなら、海外交流なんてしてはいけない。

もう一度言うが、ライスボウルは「国を代表する統括団体の主催するその国最高位を決定する試合」であるべき。それが維持出来ないほどに学生側と社会人側が乖離しているようには思えない。

その上で敢えて言うが、そんなに社会人と試合したくなくて、自分たちが満足がいく試合をしたいというなら、以下の方法を提案したい。
底意地が悪く、かつ実現不可能な事ではあるが、それくらいの事はしてもらわないと、その本気度は絶対に伝わらないし、でなければ単なる負け犬の遠吠えに過ぎない。

(長くなるので畳みますが、それ以外の意味は全くありません。ま、相当出来もしない事吹いてますが、「何言ってるんだバーカ」程度で流して欲しいですわ)

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